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<ガルーセル凱旋門>
ガルーセル凱旋門は、ルーブル美術館から少し西に歩いたところにあります。1805年のナポレオン遠征時の勝利を祝って建てられました。8本のピンクと白の大理石の円柱の上には、兵士の彫像が並んでいます。壁面の彫刻はナポレオンが活躍する場面です。シャンゼリゼ通りにある凱旋門よりも小型に作られていますが、芸術性は立派なものです。

<チュイルリー公園>
パリのど真ん中に位置するルーヴル美術館のすぐ西に、もとは宮殿の庭として造られたのがここチュイルリー公園です。1664年にはルイ14世の命で、ヴェルサイユ宮殿の庭園なども手掛けたル・ノートルによって泉水や散歩道などが整備され、現代に残る庭園を作り上げました。しかし、王宮自体は1683年にヴェルサイユ宮殿に移っています。再びテュイルリーに王宮が戻るのは、フランス革命の最中であった1789年になります。革命によりルイ16世が捕らえられたのちは、国民公会、公安委員会の拠点として使用されています。

のちにナポレオン・ボナパルトが再び王宮とましたが、1871年5月23日、パリ・コミューンの鎮圧の最中に焼失しました。外壁のみとなった廃墟は、再建可能な状態であり、オテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)やルーブル宮殿の一部などパリ・コミューン時に焼失した建物は外壁を再利用して逐次再建されましたが、テュイルリー宮殿は王政・帝政の遺物として撤去が決まり、反対運動も起こる中で1883年に外壁が解体されました。

2003年、フランス政府はテュイルリー宮殿再建委員会を設置して、焼失した宮殿の再建計画を打ち出しました。再建にかかる費用は約3億ユーロと推定されており、ここに税金は投入せず、全額を民間からの寄付で賄うとしています。再建後は、展示スペースが不足している隣接のルーヴル美術館から収蔵品の一部を移転して、展示を行うなどの活用方法が検討されています。

<コンコルド広場>
ルーブル美術館を過ぎて、ガルーセル凱旋門を通って、チュイルリー公園を過ぎると、コンコルド広場に着きます。そして、その中央にそびえ建つのがオベリスクです。このオベリスクはエジプトにあるルクソール神殿に立てられた一対のオベリスクのうちの1本で、19世紀にパリに運ばれてきたものです。もう1本はいまもルクソール神殿に残っています。

1755年、Ange-Jacques Gabrielによって設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていた。その後、フランス革命の勃発により、騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められました。このコンコルド広場にはかつてギロチン台が置かれ、フランス革命の時期、ルイ16世やマリーアントワネットをはじめとする1343人が処刑されました。1795年、現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれ始めて、1830年に公式にコンコルド広場という名前となりました。

オベリスクは、1830年5月にエジプトの王様(当時のエジプト総督ムハンマド・アリ)がフランス王シャルル10世に贈ったもので紀元頃に作られたと言われています。オベリスク最上部にあるピラミッドのような三角形のものは、ピラミディオンと言って、つい最近(1998年5月に)取り付けられたものです。もともと、オベリスク最上部にはピラミディオンがついていたのですが、紀元前6世紀にペルシャ人が侵攻してきて盗んでしまいました。ピラミディオンは高さ3.6メートルのブロンズ製で、23.5カラットの金箔で覆われています。


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